市川崑のタイポグラフィ
2010年07月19日 | カテゴリー:デザイン/アート, 映画

その昔とあるクラブに、映画のタイトルバックばかりを編集して上映するイベントに足を運びました。ソール・バスやモーリス・ビンダー、パブロ・フェロ。錚々たるデザイナー達が手がけるモダンなアニメーションやモーション・グラフィックの数々に目眩のするような思いがしたものでした。あれから10年近い歳月を経て、Youtubeでそれらタイトル部分だけを簡単に楽しむことが出来るようになりましたが、やはりそのデザイナーの他の仕事や本編との関連性、製作背景なども交えてこその面白さだったということを実感し、今ではあまり検索することも少なくなってしまいました。タイトルバックは映画の顔であるとは、市川崑の発言にもありましたが、その顔であるタイトルバックについて、鑑賞することは容易になった一方で、検討し、語られる機会はまた少なくなっているのでしょうか。
そんな折に読んだ『市川崑のタイポグラフィ』(小谷充著/水曜社)という本は、まさに数十秒のタイトルから、タイポグラフィという専門的領域のみならず、サブカルチャーや映画そのもの、活字文化の移り変わりと、ありとあらゆる分野に言及した読み応えのある一冊でした。太い明朝体をL字型に配置し、オープニング早々に観客の目をスクリーンに釘付けにした『犬神家の一族』のクレジット。その後『新世紀エヴァンゲリオン』においてサブタイトルにオマージュとして引用されると共に、波及的にサンプリングされ、最近では資生堂のCMにまで引用されるという、ある種のパブリックドメインのような存在となり、様々なメディア上で受け継がれています。


『市川崑の映画たち』(市川崑・森遊机著/ワイズ出版)では、監督自身そのアイデアの誕生をこう語っています。
実は、あれは偶然から生まれたんですよ。いつもタイトル制作を頼んでいるデン・フィルム・エフェクトに太い明朝体の写植を注文したら。活字見本を用紙いっぱいに貼付けてきたので、これは面白い、このまま使おうってことになった。
通常の読者であれば、これで例の明朝タイトルに関する疑問は解けてしまい、納得ということになってしまいます。ところが本書の著者はそのようにことを片付けません。
本人や当事者の発言を鵜呑みにしないのは調査の鉄則だ。この証言を客観的に裏付けることからはじめよう。
なんと、本人の言っていることを信用しないという態度に出るのです。この態度からさまざまな「謎」が生まれ、まさに金田一耕助スタイルをなぞりながら、迂回して迂回して検証を続けるうちに、発言からは読み取ることの出来ないさまざまな真実やディティールが浮かび上がります。「犬神家」のタイトルクレジットにはある事情から3種類の明朝体が混在して組まれており、その理由を推察すればそこからは時代背景や、本編とのつながり、監督のこだわりまでもが芋づる式に掘り出されてくるのだから、読み応えはまるでミステリー小説のよう。この明朝の謎に迫れば、松本清張も、エヴァンゲリオンも、三谷幸喜の『マジックアワー』も、市川崑の他の作品全ても、これまでよりずっと楽しめるはずです。たった数十秒から二百数十ページまで膨らませた、研究者的求道心とエンタテイメント性の両面を感じさせてくれる労作です。






